ハンザ史およびバルト海・北海沿岸の国・地域の歴史に関する邦文文献のうち、1981年-1990年のものを著者の五十音順に掲載してあります。書誌データの間違いや、誤字脱字、掲載されていない文献の情報などがありましたら、サイト管理人までお知らせ下さい。
あ行
赤阪俊一
- 「中世末期都市内民衆騒乱に関する一考察」『関学西洋史論集』11、1982年3月、27-38ページ
- 「ケルンにおける1396年の改革」『史林』86(9)、1986年9月、123-139ページ
- 「ケルンにおける1370-71年の『織匠支配』」『西洋史学』146、1987年9月、19-29ページ
上尾信也
- 「ハンブルクの楽師組合規約(1691年2月18日付)」『ICU比較文化』15、1988年6月、65-81ページ
淺野明
- 「わが国のロシア中世史研究の現段階 —中世都市と農民戦争をめぐって—」『西洋史研究』新輯10、1981年、57-71ページ
- 「わが国のロシア中世史研究の現段階 —農奴制および共同体をめぐって—」『歴史学研究』503、1982年、16-24ページ
- 「16世紀前半期ロシアの知行地制 —ノヴゴロド地方の事例研究—」『西洋史研究』新輯12、1983年11月、53-92ページ
- 「イヴァン雷帝期ロシアの知行地制 —ノヴゴロド地方の事例研究—」『史学雑誌』94(7)、1985年7月、1-39ページ
W・アーベル
- 寺尾誠(訳)『農業恐慌と景気循環 —中世中期以来の中欧農業及び人口扶養経済の歴史—』未來社、1986年5月
荒木勝
- 「ポーランド最古の年代記 —『匿名のガル年代記』について—」『岡山法学会雑誌』35(2)、1985年12月、91-141ページ
- 「聖スタニスワフ崇拝の形成について —『ガル年代記』から『ヴィンセンティ年代記』へ—」『岡山法学会雑誌』35(3・4)、1986年3月、359-407ページ
- 「1000年のグニエズノにおけるオットー三世とボレスラフ・フロブリの会見について —『匿名のガル年代記』第一巻第六章解釈の試み—」『岡山法学会雑誌』36(2)、1986年12月、103-170ページ
- 「ピァスト伝説に関する一考察 —『匿名のガル年代記』から『マギステル・ヴィンセンティのポーランド年代記』へ—」『岡山法学会雑誌』36(3・4)、1987年3月、459-493ページ
- 「ミェシコ一世について —『匿名のガル年代記』から『マギステル・ヴィンセンティのポーランド年代記』へ—」『岡山法学会雑誌』37(1)、1987年7月、1-32ページ
- 「ボレスワフ・フロブリにおける『聖』と『俗』 —『匿名のガル年代記』から『マギステル・ヴィンセンティのポーランド年代記』へ—」『岡山法学会雑誌』37(2)、1987年10月、53-86ページ
- 「『ヴィンセンティのポーランド年代記』における市民的=政治的(ポリティックス)正義—」『岡山法学会雑誌』37(4)、1988年3月、47-86ページ
- 「ポーランドの起源 —『匿名のガル年代記』から『ヴィエルコ・ポルスカ年代記』へ—」『岡山法学会雑誌』38(3)、1989年2月、53-107ページ
石井晋良
- 「西欧中世前期の商業と都市 —H・ピレンヌの所論をめぐって—」『函大商学論究』20(1)、1985年10月、93-134ページ
- 「ヨーロッパ中世前期の基本構造 —都市と農村—」『函大商学論究』20(2)、1986年3月、1-44ページ
石坂昭雄
- 「オランダ共和国の経済的興隆とバルト海貿易(1585-1660) —ズント海峡通行税記録の一分析—」日蘭学会(編)『オランダとインドネシア —歴史と社会—』山川出版社、1986年3月、63-89ページ
石戸谷重郎
- 「外国歴史学におけるロシアの奴隷と奴隷制度」『ロシア史研究』33、1981年4月、2-23ページ
- 「プスコフ年代記 —刊本、写本および抄訳—」『奈良文化女子短期大学紀要』12、1981年11月
- 「15世紀80年代のプスコフ騒擾 —史料邦訳と研究史整理—」『奈良文化女子短期大学紀要』13、1982年11月
- 「1570年のノヴゴロド壊滅 —関係史料の試訳—」『奈良文化女子短期大学紀要』14、1983年11月
- 「イヴァン雷帝とウラジーミル=スタリツキー侯」『奈良文化女子短期大学紀要』15、1984年11月
- 「イヴァン雷帝とシメオン=ベクブラトヴィチ」『奈良文化女子短期大学紀要』16、1985年11月
- 「シメオン大公期におけるイヴァン雷帝のインムニテート政策」『奈良産業大学紀要』1、1985年11月、1-23ページ
- イヴァン4世の東方政策 —カザン・アストラハンの併合—」『奈良文化女子短期大学紀要』17、1986年11月
- 「わが国におけるロシア中世史学の発達」『ロシア史研究』44、1986年12月、77-82、91ページ
- 「16世紀中葉におけるロシアとカザン」『奈良産業大学紀要』2、1986年12月、1-25ページ
- 「リヴォニア戦争略史(1558-1583)」
- (1)『奈良産業大学紀要』3、1987年12月、3-22ページ
市川依子
- 「中世末期および近世初頭の手工業組合における女性の地位 —リューベックのアムトの場合—」『西洋史学』143、1986年12月、54-68ページ
市原宏一
- 「9-12世紀東ドイツのスラヴ社会と『国家』 —ヴィルツ=リュティツ社会の展開を中心に—」『九州経済学会年報』、1988年、38-43ページ
- 「中世前期エルベ・オーデル間の定住・社会・国制 —両ドイツ学会の西スラヴ社会論—」『歴史評論』470、1989年6月、81-97、61ページ
- 「中世北西スラヴ人定住の一類型 —6-12世紀エルベ・オーデル間農村定住遺跡の考察から—」『経済論究』(九州大学大学院経済学会)75、1989年12月、1-20ページ
伊東秀征
- 「ロシアのナルヴァ領有と対西欧貿易 —1558-1581年—」『北欧史研究』3、1984年8月、40-45ページ
- 「リチャード・チャンセラーの北東航路発見とロシアの『発見』」『ロシア史研究』40、1984年11月、59-64ページ
- 「アルトゥール=アトマン『国際貿易におけるロシア市場 —1500-1860年—』」『北欧史研究』4、1985年11月、53-63ページ
- 「探検者とモスクワ会社 —R・チャンセラーとロシア見聞録—」『北陸史学』34、1985年11月、41-55ページ
- 「オシップ・ネピアの訪英と英露関係の確立」『北陸史学』35、1986年11月、62-76ページ
- 「チューダー朝イギリスの北東航路探検に関する一考察」『一橋論叢』97(3)、1987年3月、123-131ページ
- 「モスクワ会社のロシア経由ペルシア探検(上)」『一橋研究』12(3)、1987年10月、1-17ページ
- 「イギリス海外進出の開始」『経済学論究』(関西学院大学経済学研究会)43(3)、1989年10月、565-583ページ
- 「未知の世界への旅立ち —アンソニー・ジェンキンソン—」浜林正夫・神武庸四郎(編)『社会的異端者の系譜 —イギリス史上の人々—』三省堂、1989年10月、61-78ページ
伊藤幸男
- 「ボリス・ゴドゥノフの即位とゼムスキー・サボール」『山梨大学教育学部研究報告』32(1)、1981年、94-108ページ
- 「〈イズブランナヤ・ラーダ〉考」『山梨大学教育学部研究報告』36(1)、1985年、27-35ページ
- 「アレクセイ・アダーシェフと1549年のサボール」『帝京史学』3、1987年12月、1-20ページ
稲元格
- 「中世都市リューベックの領域政策研究序説」『法制史研究』32、1983年3月、115-140ページ
- 「12・3世紀のリューベック市における市民自治の展開 —B・アム・エンデ説の検討—」『近大法学』31(1・2・3)、1983年12月、91-149ページ
- 「12・3世紀のホルシュタイン伯領における権力構造とその変遷 —中世都市法と農村法との比較研究にむけて—」『阪大法学』133・134、1985年3月、239-262ページ
- 「リューベック法における家財産に対する家族法的な拘束 —W. Ebel, Erbe, Erbgut und wohlgewonnen Gut im lübischen Recht, in Z. R. G. A., Bd. 97, 1980に依拠して—」『近大法学』34(1・2)、1986年12月、1-31ページ
- 「中世都市リューベックの法史料について」『近大法学』35(3・4)、1988年3月、1-52ページ
- 「中世末期リューベックの都市法典における不動産に関する条文について —13・4世紀のキール法典(Der Kieler Kodex)を素材として—」『近畿大学法学』37(1・2)、1989年12月、1-51ページ
井内敏夫
- 「ポーランド『防壁』論の歴史的考察」『ソ連東欧社会の新研究』(研究シリーズ15)早稲田大学社会科学研究所、1983年3月、1-39ページ
- 「ポーランド四年議会と社会の近代化 —1791年都市法を中心にして—」『歴史評論』412、1984年8月、87-108ページ
- 「ポーランドのリベルム・ヴェト考 —その法的根拠について—」『ソ連東欧地域の史的研究』(研究シリーズ21)早稲田大学社会科学研究所、1986年6月、85-120ページ
- 「スタニスワフ・コナルスキの著書にみるリベルム・ヴェト」『社会科学討究』(早稲田大学社会科学研究所)93、1986年12月、333-368ページ
- 「14-15世紀前半のポーランドにおける王と国家と社会 —共和主義の起源に関する一考察—」『スラヴ研究』37、1990年3月、155-176ページ
岩波敦子
- 「中世都市ケルンに於けるユダヤ人保護 —都市の自治権獲得の過程の中で—」『史学』(三田史学会)59(2・3)、1990年7月、1-24ページ
上野正治
- 「東ドイツ植民とグーツヘルシャフトの成立 —ツーア・ミューレンの所説を中心に—」『歴史』(東北史学会)63、1984年11月、87-101ページ
E・エネン
- 佐々木克巳(訳)『ヨーロッパの中世都市』岩波書店、1987年9月
奥西孝至
- 「中世末期低地地方における穀物取引」『史林』68(3)、1985年5月、87-123ページ
- 「15世紀フランデルンにおける穀物価格 —シント・ピーテルス修道院会計帳簿を中心に—」『西洋史学』152、1988年3月、56-70ページ
- 「15世紀南ネーデルラントの穀物価格に関する分析」『神戸大学経済学研究年報』37、1990年、169-194ページ
- 「1437-39年のネーデルラントにおける穀物価格高騰」『国民経済雑誌』162(1)、1990年7月、79-104ページ
か行
影山久人
- 「ハンザ都市リューベックにおける都市会計記録の一斑」『COSMICA』12、1983年3月、145-154ページ
- 「ハンザ都市リューベックの財政収入(1407/8年)に関する若干の覚書」
- (1)『COSMICA』13、1984年3月、145-154ページ
- (2)『COSMICA』14、1985年3月、197-205ページ
- (3・完)『COSMICA』15、1986年3月、182-200ページ
- 「中世都市リューベック財政収入 —1407/08年会計記録における若干の項目をめぐって—」『比較都市史研究』4(2)、1985年12月、47-53ページ
- 「ハンザ成立事情の一斑 —D. Ellmersの所論に依拠しつつ—」『COSMICA』16、1987年3月、122-129ページ
- 「ハンザ都市リューベックにおけるホップの生産、流通に関するノート」『COSMICA』17、1988年3月、193-203ページ
- 「ハンザ都市リューベックの周辺農耕地について」『COSMICA』18、1989年3月、140-147ページ
- 「ハンザ都市リューベックの“境域村落”について」『COSMICA』19、1990年3月、138-145ページ
川口博
- 「ネーデルランドの反乱と唯物史観」『西洋史学』129、1983年、54-68ページ
- 「議会と主権 —オランダ共和国の成立—」日蘭学会(編)『オランダとインドネシア —歴史と社会—』山川出版社、1986年3月、3-33ページ
- 「『喜ばしき即位大典』とネーデルランドの反乱」川口博(編)『伝統と近代 —西洋近代史の再検討—』彩流社、1988年12月、73-105ページ
- 「ブラバントの『喜ばしき即位大典』について」『人文論集』(静岡大学人文学部)39、1989年1月、57-82ページ
河原温
- 「中世低地地方における都市民衆蜂起の一形態 —ムーズ都市ウイの場合—」『史学雑誌』93(9)、1984年9月、68-92ページ
- 「中世後期南ネーデルラントにおける教区貧民救済 —ヘントの聖霊ターフェルについて—」『史学雑誌』95(9)、1986年9月、42-71ページ
- 「中世後期南ネーデルラントの会計簿史料について —E. Aertsの所論を中心に—」『クリオ』1、1986年11月、52-60ページ
- 「中世都市ヘントの貧民救済 —施療院を中心に—」『山梨大学教育学部研究報告』38(1)、1988年2月、46-57ページ
- 「中世末期における貧困と都市の社会政策 —イープル改革を中心として—」『歴史学研究』587、1988年11月、36-46ページ
- 「中世後期ネーデルラント都市の公証人 —その社会的位置をめぐって—」『比較都市史研究』8(2)、1989年12月、15-30ページ
清原瑞彦
- 「西方遠征の『スウェーデン人』」『古代文化』34(1)、1982年1月、7-23ページ
- 「ルーン碑文によるスウェーデンとkirikiumとの交渉について」『北海道東海大学紀要 人文社会科学系』2、1990年3月、59-75ページ
熊野聰
- 「初期中世ノルウェーの社会構造 —伏島正義『11-12世紀のノルウェー社会』を読んで—」『歴史学研究』493、1981年6月、47-53ページ
- 「北ノルウェー(ホローガラン)豪族の存在形態」
- (1)『彦根論叢』209、1981年9月、71-91ページ
- (2)『彦根論叢』210、1981年11月、1-31ページ
- 『北の農民ヴァイキング —実力と友情の世界—』平凡社、1983年2月
- 「ノルウェーおよびアイスランド初期社会の史料」『彦根論叢』222・223、1983年11月、155-173ページ
- 「ノルウェー初期『統一』王権の歴史的性格」
- (1)『彦根論叢』224、1984年1月、27-53ページ
- (2)『彦根論叢』225、1984年3月、25-49ページ
- 『北欧初期社会の構成』(滋賀大学経済学部研究叢書8)滋賀大学経済学部、1984年3月
- 「北欧中世から歴史法則を見直す」『歴史評論』409、1984年5月、91-97ページ
- 「征服から社会契約へ」
- 『彦根論叢』227、1984年8月、25-46ページ
- (2)『彦根論叢』231、1985年3月、23-42ページ
- (3)『彦根論叢』232、1985年6月、25-53ページ
- 「北欧初期社会と奴隷制 —ノルウェーにおける奴隷所有論争によせて—」『彦根論叢』228・229、1984年11月、263-276ページ
- 「共同体・家族・世帯・家庭および個人」『歴史評論』424、1985年8月、3-13ページ
- 「北欧における家族史研究の動向」『歴史評論』431、1986年3月、81-88、72ページ
- 『北欧初期社会の研究 —ゲルマン的共同体と国家—』未來社、1986年12月
栗原福也
- 「オランダ共和国における大商人層の支配」日蘭学会(編)『オランダとインドネシア —歴史と社会—』山川出版社、1986年3月、119-144ページ
A・Я・グレヴィチ
- 福富正実(訳)「初期中世のスカンディナヴィア人たちのもとにおける富と贈与 —前封建的社会の社会的構造の若干の未解決の諸問題—」福富正実(編訳)『初期封建制度論争 —中世社会史研究の方法と諸課題—』(阪南大学翻訳叢書)創樹社、1982年12月、236-264ページ
小島男佐夫
- 「16世紀ネザーランズの簿記書 —アントワープとアムステルダムにおける簿記書作者達—」『大阪経大論集』168、1985年11月、63-90ページ
小西陽子
- 「フランドル自己商業Eigenhandel衰退の影響 —13世紀のガンに関して—」『史泉』57、1982年12月、83-98ページ
さ行
酒井昌美
- 「B・D・グレコフにおける東方植民運動と共同体」
- (1)『帝京経済学研究』18(1・2)、1984年12月、367-380ページ
- (2)『帝京経済学研究』19(1・2)、1985年12月、315-328ページ
- 「三十年戦争と国際関係的視角 —オーストリー・ファルツ・スペイン・蘭・英・仏・スウェーデン等を主として—」
- (上)『帝京経済学研究』21(1・2)、1987年12月、313-344ページ
- (中)『帝京経済学研究』22(1・2)、1988年12月、283-297ページ
- (下・1)『帝京経済学研究』23(1・2)、1989年12月、457-463ページ
- (下・2)『帝京経済学研究』24(1)、1990年12月、323-334ページ
- 『ドイツ中世後期経済史研究序論 —オスト・エルベを中心として—』学文社、1989年1月
- 「エルフルト市とハンザ同盟」『帝京史学』4、1989年2月、51-70ページ
- 「ダンチヒの海上貿易 —16世紀の北欧・中欧における商品流通の移動—」『帝京史学』5、1990年2月、205-230ページ
笹川裕史
- 「ノーヴゴロドの1136年事件 —貴族共和制の成立過程に関する一考察—」『古代ロシア研究』15、1983年9月、107-126ページ
佐々木秀夫
- 「ノーヴゴロドに現われた異端について —ヨーシフ・ヴォーロツキイ《啓蒙者》をたどる—」『古代ロシア研究』17、1989年5月、3-13ページ
佐々木重人
- 「ポーランドにおける都市の起源 —ドイツ人建設都市以前のスラヴ人初期都市—」『研究論集』(神奈川大学大学院経済学研究科)9、1985年3月、1-44ページ
- 「スラヴ人社会におけるドイツ法都市(未完)」『研究論集』(神奈川大学大学院経済学研究科)11、1988年3月、9-36ページ
- タデウシュ・ロスワノウスキ稿「特に定住=社会地誌的研究からみた中東欧と中世欧の中世都市の比較研究」『研究論集』(神奈川大学大学院経済学研究科)11、1988年3月、37-44ページ
佐々木博光
- 「ドイツ騎士修道会とプロイセン人」『史林』72(6)、1989年11月、1-36ページ
佐藤純一
- 「ノヴゴロド白樺木皮簡の用字法について」『古代ロシア研究』16、1986年10月、21-35ページ
佐藤弘幸
- 「共和国時代のオランダ織物工業の展開とその特質」日蘭学会(編)『オランダとインドネシア —歴史と社会—』山川出版社、1986年3月、91-117ページ
- 「16世紀の南ネーデルラント移民と都市経済」『都市におけるエスニシティと文化 —国際比較の視点から—』東京外国語大学海外事情研究所、1988年3月、1-15ページ
斯波照雄
- 「リューベックにおける1408-16年の『闘争』について」『史学雑誌』93(8)、1984年8月、47-76ページ
- 「ハンザ衰運」渡辺国広(編)『経済史讚'86』慶應通信、1986年8月、42-58ページ
- 「リューベックにおける1380/84年の肉屋の乱について」『北陸史学』36、1987年11月、17-36ページ
- 「14世紀末のブラウンシュヴァイクの市政改革」『史学雑誌』97(10)、1988年10月、82-101ページ
- 「ブラウンシュヴァイクにおける1374年の市民蜂起(シヒト)と市政改革」『比較都市史研究』7(2)、1988年12月、8-9ページ
- 「14世紀末のシュトラールズントにおける市民抗争について」『比較都市史研究』7(2)、1988年12月、53-67ページ
- 「ブラウンシュヴァイクにおける1374-86年の『シヒト』について —蜂起の原因と主導者の検討を中心に—」『社会経済史学』54(4)、1988年12月、64-92ページ
- 「ハンブルクにおける1410年の市民抗争について」寺尾誠(編)『温故知新 —歴史・思想・社会論集—』慶應通信、1990年10月、53-75ページ
- 「15世紀初頭のハンザ都市ロストクの政変について」『北陸史学』39、1990年11月、28-42ページ
H・シュルツ
- 田北廣道(訳)「『プロト工業化』と封建制から資本制への移行期」『福岡大学商学論叢』32(2)、1987年9月、162-180ページ
た行
高橋理
- 「中世初期における北・東ヨーロッパの宣教事情」『文化紀要』(弘前大学教養部)30、1989年8月、1-83ページ
高橋達史
- 「史料としての17世紀オランダ風俗画の再検討 —描写の信憑性と類型の問題をめぐって—」日蘭学会(編)『オランダとインドネシア —歴史と社会—』山川出版社、1986年3月、185-213ページ
高柳信一
- 『近代プロイセン国家成立史序説』有斐閣、1988年8月
田北廣道
- 「中世後期ラインラントの小都市チュルピヒにおける年市とその市場機能について —14・15世紀判告録の分析を中心に—」
- (上)『福岡大学商学論叢』27(4)、1983年3月、711-738ページ
- (下)『福岡大学商学論叢』28(1)、1983年6月、99-123ページ
- 「イルジーグラーの中世後期ケルン『経済構造の展開』論の諸問題」『比較都市史研究』2(2)、1983年12月、31-47ページ
- 「13-16世紀ラインラント地域内商業と小都市研究 —デュレンの場合—」
- (上)『福岡大学商学論叢』29(1)、1984年6月、105-151ページ
- (下)『福岡大学商学論叢』29(2・3)、1984年11月、659-697ページ
- 「1960年以降東ドイツ学界における中世盛期・後期の都市・農村関係に関する研究」
- (上)『福岡大学商学論叢』29(4)、1985年3月、1075-1108ページ
- (下)『福岡大学商学論叢』30(2)、1985年9月、65-111ページ
- 「1960年以降西ドイツ学界における中世盛期・後期の都市・農村関係に関する研究」
- (上)『福岡大学商学論叢』31(1)、1986年6月、113-154ページ
- (中)『福岡大学商学論叢』32(1)、1987年6月、59-93ページ
- (下)『福岡大学商学論叢』32(3)、1987年12月、131-162ページ
- 「1960年以降西ドイツ学界における中世盛期・後期の都市・農村関係の問題に関わる基本的文献目録」『福岡大学商学論叢』31(1)、1986年6月、155-166ページ
- 「西欧中・近世のツンフト・手工業史に関する最近の研究動向 —西ドイツ学界を中心に—」『福岡大学商学論叢』31(3・4)、1987年3月、399-434ページ
- 「西欧中・近世のツンフト・手工業史に関する文献目録 —ドイツ学界を中心に—」『福岡大学商学論叢』31(3・4)、1987年3月、595-604ページ
- 「ドイツ学界における『プロト工業化』研究の現状 —東ドイツ学界の場合—」
- (1)『福岡大学商学論叢』32(2)、1987年9月、133-162ページ
- 「中世都市の研究方法としての『中心地』論の意義と限界 —ドイツ学界を中心に—」『福岡大学商学論叢』32(3)、1987年12月、35-67ページ
- 「14-16世紀大都市・周辺地間の経済諸関係の一側面 —ケルン甲冑工ツンフトの場合—」森本芳樹(編著)『西欧中世における都市=農村関係の研究』九州大学出版会、1988年2月、449-498ページ
- 「14-16世紀ケルン職人史研究序説 —中世後期職人運動『非展開』地域の構造解明に向けて—」『福岡大学総合研究所報』105、1988年3月、21-49ページ
- 「15-16世紀ケルン職人運動の諸要因 —ツンフト史の枠を越えて—」『福岡大学商学論叢』33(1)、1988年6月、291-324ページ
- 「15-16世紀ケルン職人史関係の基本史料」『福岡大学商学論叢』33(1)、1988年6月、403-416ページ
- 「西欧中・近世ツンフト史研究の新たな展望 —H・レンツェの地域類型論をめぐって—」『福岡大学商学論叢』34(1)、1989年6月、159-191ページ
- 「中・近世ラインラントにおけるツンフト・手工業史研究の諸問題 —『ライン都市図』を中心とした中間総括—」
- (1)『福岡大学商学論叢』34(2・3)、1989年12月、563-601ページ
- (2)『福岡大学商学論叢』34(4)、1990年3月、869-900ページ
- 「中・近世ラインラントにおけるツンフト・手工業史関係の基本史料」
- (1)『福岡大学商学論叢』34(2・3)、1989年12月、727-747ページ
- (2)『福岡大学商学論叢』34(4)、1990年3月、1015-1039ページ
- 「ドイツ学界における中世盛期・後期『都市・農村関係』に関する最近の研究動向 —林毅氏の批判に答えて—」『福岡大学商学論叢』35(2)、1990年9月、425-447ページ
玉木俊明
- 「地中海からバルト海へ —1600年頃のヨーロッパ経済の中心移動—」『文化史学』45、1989年11月、173-193ページ
А・Н・ツァムタリー
- 松木栄三(訳)「19世紀-20世紀初めのロシア歴史学におけるノヴゴロド史研究」『宇都宮大学教養部研究報告 第1部』18、1985年12月、137-155ページ
塚田秀雄
- 「オラウス・マグヌスの北欧民族史について —フィンランドに関する記載—」『歴史研究』(大阪府立大学)22、1982年9月、105-143ページ
寺村銀一郎
- 「スウェーデンとドイツ・ハンザ —主権国家の誕生と異邦人の同化—」川口博(編)『伝統と近代 —西洋近代史の再検討—』彩流社、1988年12月、41-72ページ
富田矩正
- 「中世中期におけるドイツ皇帝の北方鎮撫行動とヴェンド族 —主としてHeinrichI世を中心とする—」『明治大学大学院紀要』18(4)、1981年2月、111-125ページ
- 「北ドイツ植民地域の領域権力と民衆」『歴史学研究』599、1989年10月、73-81ページ
な行
中澤勝三
- 「16世紀中葉におけるアントウェルペンのイベリア交易」『地中海論集』9、1984年、147-160ページ
- 「16世紀アントウェルペンの銅交易とヨーロッパ経済」『地中海論集』10、1986年、137-147ページ
- 「アントワープの陥落とアムステルダムの興隆」日蘭学会(編)『オランダとインドネシア —歴史と社会—』山川出版社、1986年3月、35-61ページ
- 「L'exportation maritime d'Anvers vers la Pninsule Ibrique an milieu du seizime siècle」『地中海論集』11、1988年、145-154ページ
- 「オランダの地中海貿易について —J. I. Israelの所説に寄せて—」『地中海論集』12、1989年、73-80ページ
日本古代ロシア研究会
- 「ノヴゴロド第一年代記古輯(シノド本)訳・註」
- (3)『古代ロシア研究』15、1983年9月、23-46ページ
- (4)『古代ロシア研究』16、1986年10月、75-95ページ
- (5)『古代ロシア研究』17、1989年5月、103-148ページ
延広知児
- 「ロシア・東欧中世史関係邦語文献目録」
- 『立正西洋史』6、1983年11月、37-72ページ
- (補遺)『立正西洋史』7、1984年11月、86-92ページ
は行
服部良久
- 「中世リューベックの兄弟団について」中村賢二郎(編)『都市の社会史』ミネルヴァ書房、1983年11月、113-138ページ
林毅
- 「世良法史学について —一つの覚書—」『法学』(東北大学法学会)44(5・6)、1981年1月、1-57ページ
- 「中世都市ケルンにおける犯罪と刑罰」『阪大法学』118・119、1981年11月、35-68ページ
- 「ドイツ中世都市における自由と自治」『阪大法学』120、1981年12月、1-25ページ
- 「中世都市ケルンにおける自由世襲借地について —freie Erbleiheについて—」『阪大法学』121、1982年1月、1-16ページ
- 「『都市の空気は自由にする』„Stadtluft macht frei“の原則について」覚道豊治[他](編)『法と政治の現代的課題』有斐閣、1982年3月、427-448ページ
- 「ランデスヘルとラント都市 —ケルン大司教領内の小都市ツォンスZonsの場合—」『阪大法学』123、1982年8月、1-21ページ
- 「自由帝国都市アウクスブルクにおける民事裁判制度」『阪大法学』125、1982年12月、1-49ページ
- 「中世都市ケルンの政治的指導層」『阪大法学』128、1983年9月、1-43ページ
- 「中世ケルン都市共同体成立過程についての再論」『阪大法学』129、1983年12月、33-50ページ
- 「中世都市ケルンの市外市民Außenbürger」『阪大法学』132、1984年11月、1-23ページ
- 「中世都市ケルンにおける定期金売買Rentenkauf」『阪大法学』133・134、1985年3月、1-18ページ
- 「中世都市シュトラスブルクの支配領域」『阪大法学』135、1985年8月、1-26ページ
- 『西洋中世都市の自由と自治』敬文堂、1986年1月
- 「西洋中世都市と市民に関する若干の覚え書」『阪大法学』138、1986年2月、1-24ページ
- 「自由都市バーゼルにおけるローマ法の継受」望月礼二郎[他](編)『法と法過程 —社会諸科学からのアプローチ—』創文社、1986年10月、105-135ページ
- 「ドイツ中世都市における夫婦財産制 —ケルン市の場合を中心にして—」『阪大法学』141・142、1987年3月、185-208ページ
- 「ドイツ中世都市における契約法 —特に売買契約について—」『阪大法学』143、1987年8月、1-27ページ
- 「中世都市ケルンにおける私的土地所有権の成立」平松義郎博士追悼論文集編集委員会(編)『法と刑罰の歴史的考察』名古屋大学出版会、1987年12月、403-423ページ
- 「ドイツ中世都市における使用賃貸借(Miete) —特にケルン市の場合を中心として—」『阪大法学』145・146、1988年3月、171-188ページ
- 「中世末ケルン市における政治的動乱 —『平民都市』の実態—」『阪大法学』147、1988年8月、1-20ページ
- 「自由帝国都市ケルンとケルン大司教」『阪大法学』149・150、1989年3月、99-135ページ
- 「法史学の存在価値についての覚え書」『阪大法学』39(2)、1989年11月、1-15ページ
- 「中世都市ケルンの遺言制度」『阪大法学』39(3・4)、1990年3月、99-126ページ
- 「中世都市ケルンの裁判所制度」『阪大法学』40(1)、1990年8月、1-22ページ
林毅、三成賢次、三成美保、瀬口朋子
- 「最古のゾースト都市法」『阪大法学』136、1985年9月、249-262ページ
原征明
- 「ヴァイキング期デンマークにおけるヘデビュー(Hedeby)の諸相」『東北学院大学論集 経済学』90、1982年12月、17-39ページ
- 「デンマークにおけるヴァイキング期の都市リーベ(Ribe)について」『東北学院大学論集 経済学』100、1986年3月、165-184ページ
- 「ヴァイキングとアングロ・サクソン社会 —初期的動向—」『東北学院大学論集 経済学』110、1989年3月、1-19ページ
比嘉清松
- 「中世末ケルンにおける外来者の宿泊状況」神戸大学経済史研究室(編)『ヨーロッパの展開における生活と経済 —山瀬善一先生還暦記念論文集—』晃洋書房、1984年3月、37-57ページ
- 「近世初頭ヴェント諸都市の貿易」松山商科大学創立60周年記念論文集編纂委員会(編)『創立六十周年記念論文集』松山商科大学、1984年12月、61-83ページ
- 「近世初頭におけるヴィスマールの海上貿易 —スペイン・ポルトガル貿易を中心に—」『国民経済雑誌』152(5)、1985年11月、51-71ページ
平嶋照子
- 「13世紀末ブリュージュの会計簿について」『経済論究』(九州大学大学院経済学会)70、1988年3月、99-130ページ
藤井博文
- 「ハインリヒ四世とザクセン戦争 —その原因と動機を中心として—」『立命館文学』508、1988年10月、115-147ページ
- 「オットー朝初期の権力統合について」『立命館史学』11、1990年11月、66-87ページ
藤井美男
- 「中世後期南ネーデルラントにおける都市工業と農村工業」『九州経済学会年報』、1984年、43-51ページ
- 「中世後期南ネーデルラント毛織物工業における都市と農村 —H・ピレンヌ以降の研究史の検討を中心として—」『社会経済史学』50(6)、1985年2月、703-720ページ
- 「南ネーデルラント『市外市民』制に関する一考察」『経済論究』(九州大学大学院経済学会)61、1985年3月、145-172ページ
- 「13世紀末イープル毛織物工業の変容過程 —1280年の内乱を契機とした—」『経済論究』(九州大学大学院経済学会)62、1985年8月、91-121ページ
- 「中世後期南ネーデルラントにおける都市=農村関係の研究 —1960年以降ベルギー学会の動向を中心に—」『九州産業大学商経論叢』27(4)、1987年4月、259-296ページ
- 「14世紀フランドル毛織物工業における都市と農村 —イープルとポーペリンゲの対立を中心に—」森本芳樹(編著)『西欧中世における都市=農村関係の研究』九州大学出版会、1988年2月、407-447ページ
- 「13-16世紀メヘレン毛織物工業の展開」『九州産業大学商経論叢』29(3)、1989年1月、95-156ページ
- 「メヘレン初期毛織物工業規約における諸問題 —資料論的一考察—」『九州産業大学商経論叢』30(3・4)、1990年3月、161-184ページ
藤岡ひろ子
- 「中世ヴィスビーとベルゲンのドイツ人居留地」『歴史地理学』146、1989年9月、1-19ページ
伏島正義
- 「12-13世紀の『都市』ニダロス —Bjarkeyjar réttrを中心にして—」『史学雑誌』90(9)、1981年9月、46-74ページ
- 「北欧中世(スウェーデン)における土地所有形態 —ヨーロッパ中世成立期の土地制度研究の一階梯として—」『城西経済学会誌』21(2・3)、1985年12月、13-43ページ
- 「北欧中世(スウェーデン)における自力救済慣行 —実力社会の一考察—」『城西人文研究』13、1986年2月、19-63ページ
- 「ウップランド法典(中世スェーデン)における土地所有形態」『城西経済学会誌』22(2)、1986年12月、23-34ページ
- 「北欧中世(スウェーデン)の社会とその土地所有形態 —ウップランド法典を史料として—」『城西経済学会誌』23(2)、1988年9月、1-88ページ
- 「The Society and the Form of Land Ownership in Medieval Scandinavia (Sweden). In the Light of the Upland-Law」『城西経済学会誌』23(3)、1989年3月、41-47ページ
H・プラーニッツ
- 林毅(訳)『中世ドイツの自治都市』(創文社歴史学叢書)創文社、1983年5月
- 林毅、三成賢次、三成美保、瀬口朋子(訳)「中世ドイツにおけるケルン都市法とその伝播」『阪大法学』131、1984年8月、205-253ページ
ま行
G・L・V・マウラー
- 林毅、三成賢次、三成美保、渡辺聖一(訳)「ドイツ中世都市の自治行政」
- (1)『阪大法学』147、1988年8月、249-285ページ
牧野正憲
- 「ハラルド青歯王時代に関する一考察 —デンマーク・ドイツ関係を中心に—」『関学西洋史論集』10、1981年1月、17-28ページ
- 「アンスガルの北欧伝道について」『人文論究』(関西学院大学人文学会)32(2)、1982年10月、29-43ページ
- 「1397年のカルマル連合会議に関する一考察 —戴冠文書と連合文書を中心に—」『北欧史研究』4、1985年、1-10ページ
- 「マルグレーテ一世時代の国家財政について」『人文論究』(関西学院大学人文学会)38(1)、1988年6月、109-123ページ
松木栄三
- 「中世ノヴゴロドの階級闘争 —貴族・都市民衆・農民—」『前近代社会における階級闘争』(階級闘争の歴史と理論2)青木書店、1981年1月、173-191ページ
- 「ノヴゴロドの貴族的所有について」
- (1)『宇都宮大学教養部研究報告 第1部』14、1981年12月、1-29ページ
- (2)『宇都宮大学教養部研究報告 第1部』17、1984年12月、47-73ページ
- 「14・15世紀の黒海沿岸とロシア」『地中海論集』9、1984年、55-72ページ
- 「16世紀ノヴゴロドの都市住民と地域共同体」『歴史学研究』547、1985年10月、89-99ページ
- 「ノヴゴロドのギリシャ人絵師 —オリセイ・グレチンの屋敷の発掘によせて—」『地中海論集』10、1986年、91-108ページ
- 「Novgorodian Travelers to The Mediterranean World in The Middle Ages」『地中海論集』11、1988年、1-24ページ
- 「中世ノヴゴロドの街区について」『宇都宮大学教養部研究報告 第1部』21、1988年12月、127-168ページ
- 「ノヴゴロド大主教の白頭巾 —14-15世紀のノヴゴロドと地中海世界—」『地中海論集』12、1989年、29-39ページ
- 「ノヴゴロドの市場(イチバ) —店舗台帳ノート—」『宇都宮大学教養部研究報告 第1部』22、1989年12月、55-84ページ
- 「アレクサンドル・ネフスキーの周辺 —13世紀ノヴゴロドの東と西—」『宇都宮大学教養部研究報告 第1部』23、1990年12月、157-198ページ
棟居洋
- 「リューベックにおける宗教改革の社会的背景」『ICU比較文化』1、1980年10月、32-41ページ
- 「宗教改革運動の終結と市参事会権力の強化 —リューベックの場合—」『社会科学ジャーナル』(国際基督教大学学報IIB)21(2)、1983年3月、91-110ページ
- 「リューベックの宗教改革 —ハンザ都市の場合—」中村賢二郎・倉塚平(編)『宗教改革と都市』刀水書房、1983年11月、225-257ページ
F・F・メンデルス
- 田北廣道(訳)「プロト工業化 —理論と現実—」『福岡大学商学論叢』32(1)、1987年6月、95-128ページ
や行-わ行
山田作男
- 「プロイセン同盟成立前後 —シュテンデ運動の展開—」『愛知教育大学研究報告(社会科学)』30、1981年3月、1-17ページ
- 『プロイセン史研究序説』風間書房、1982年1月
- 「グーツヘルシャフトの成立について —若干の問題点—」『愛知教育大学研究報告(社会科学)』32、1983年3月、1-14ページ
- 「プロイセンにおけるグーツヘルシャフトの成立 —資料的考察—」『愛知教育大学研究報告(社会科学)』34、1985年2月、1-13ページ
- 「プフルークとハーケンについて」『愛知教育大学研究報告(社会科学)』35、1986年2月、1-16ページ
- 「ドゥスブルクのプロイセン年代記 —その資料的価値について—」『愛知学院大学教養部紀要』36(3)、1989年3月、1-17ページ
- 「いわゆるNarratioについて —ドイツ騎士団史料の研究—」『愛知学院大学教養部紀要』38(1)、1990年6月、185-197ページ
山田雅彦
- 「シャンパーニュの初期年市をめぐる諸問題」『西洋史学』136、1985年3月、34-53ページ
- 「13世紀初頭の流通税表に見るサンスの流通構造 —シャンパーニュ大市地域における都市と農村—」森本芳樹(編著)『西欧中世における都市=農村関係の研究』九州大学出版会、1988年2月、261-309ページ
- 「フランドル年市初期史の再構成にむけて —研究史とヘントの事例研究—」『市場史研究』6、1989年6月、1-20ページ
- 「中世サン=トメールの流通税表 —層位学的考察の試み—(上)」『文学部論叢』(熊本大学文学会)33、1990年10月、130-105ページ
- 「中世フランドルの小都市メーセンの発展と年市」『比較都市史研究』9(2)、1990年12月、13-28ページ
山舘順
- 「フェッキンフーゼン家の人々」『育英工業高等専門学校研究紀要』16、1990年
T・リース
- 隅田哲司(訳)「14-16世紀におけるネーデルランデンにおける若干の都市類型」『史学研究』(広島史学研究会)157、1982年9月、41-63ページ