ハンザ史およびバルト海・北海沿岸の国・地域の歴史に関する邦文文献のうち、1970年以前のものを著者の五十音順に掲載してあります。書誌データの間違いや、誤字脱字、掲載されていない文献の情報などがありましたら、サイト管理人までお知らせ下さい。
あ行
秋草実
- 「ポスタンの中世北方商業論」
- (1)『山口経済学雑誌』4(5・6)、1953年11月、15-31ページ
- (2)『山口経済学雑誌』4(7・8)、1954年1月、20-32ページ
- (3)『山口経済学雑誌』4(9・10)、1954年3月、37-59ページ
- (4)『山口経済学雑誌』5(1・2)、1954年6月、35-49ページ
- 「初期ハンザ商業における大規模取引の意義」『山口経済学雑誌』16(1)、1965年9月、1-28ページ
- 「ハンザ商業成立の前史」『山口経済学雑誌』16(6)、1966年3月、129-157ページ
阿部謹也
- 「1525年・プロイセンの農民一揆」『一橋論叢』47(3)、1962年3月、119-125ページ
- 「ハンドフェステについての一考察 —14世紀東ドイツ農村の法—」『一橋論叢』48(4)、1962年10月、70-76ページ
- 「ドイツ騎士修道会国家の成立と衰退 —中世後期東ドイツ社会史研究—」『一橋論叢』50(4)、1963年10月、55-75ページ
- 「グーツヘルシャフトの形成とルター派の浸透」
- (1)『一橋論叢』52(1)、1964年7月、21-42ページ
- (2)『一橋論叢』52(2)、1964年8月、36-55ページ
- 「西ドイツの東方研究と西欧理念 —中世東ドイツ植民史研究を中心に—」『思想』495、1965年9月、28-40ページ
- 「ドイツ騎士修道会士研究の現段階」
- (1)『商学討究』(小樽商科大学経済学会)19(1)、1968年8月、101-128ページ
阿部重雄
- 「ノヴゴロド共和政の限界について」『史学雑誌』62(6)、1953年6月、46-68ページ
石戸谷重郎
- 「ルースカヤ・プラーヴダについて」『奈良学芸大学紀要』3(1)、1953年12月、31-40ページ
- 「古代ロシア史におけるワリャーグ人」『奈良学芸大学紀要』3(3)、1954年3月、45-54ページ
- 「ロシア・ビザンツ条約とその背景」『奈良学芸大学紀要』4(3)、1955年3月、95-107ページ
- 「ロシア農奴制立法化の一考察」『奈良学芸大学紀要』6(1)、1956年12月、51-64ページ
- 「プスコフのイゾールニクとシャーブル —ロシア封建社会農民史の問題—」『歴史学研究』226、1958年12月、14-23ページ
- 「イワン3世の1497年法典 —本文試訳ならびに註解—」『奈良学芸大学紀要』8(1)、1959年2月、37-59ページ
- 「ホロープと農民」『ロシア史研究』2(2)、1961年、49-51ページ
- 「15・6世紀ロシアにおける非自由人(ホロープ)の労役」『史学雑誌』70(7)、1961年7月、1-36ページ
- 「ホロープ所有についての法史的一考察」『奈良学芸大学紀要 人文・社会科学』10(1)、1961年7月、23-56ページ
- 「17世紀初頭ロシア農民戦争のクロノロジー —ソヴェト史学の論争を中心に—」『歴史学研究』260、1961年12月、41-49ページ
- 「16世紀ロシアの債務リュージー」『土地制度史学』14、1962年1月、19−35ページ
- 「16世紀末のホロープ『登録帳簿』」『史学雑誌』71(6)、1962年6月、70-86ページ
- 「16世紀末のホロープ法令と債務ホロープ」『史林』45(5)、1962年10月、35-62ページ
- 「ロシア封建社会の諸問題」『ロシア史研究』3(3)、1962年11月、4-18ページ
- 「ルス法典におけるスメルドとホロープ」『西洋史学』56、1963年1月、12-32ページ
- 「チェリャージ考」『奈良学芸大学紀要 人文・社会科学』11、1963年2月、15-39ページ
- 「ノヴゴロド史研究の課題と方法」『奈良学芸大学紀要 人文・社会科学』13、1965年2月、1-21ページ
- 「1397年のドヴィナ行政法をめぐる諸問題」
- 『奈良学芸大学紀要 人文・社会科学』14、1966年2月、31-53ページ
- (承前)『奈良学芸大学紀要 人文・社会科学』15、1967年2月、31-45ページ
- 「ロシア封建社会の特質」『歴史教育』15(12)、1967年12月、24-33ページ
- 「帳簿に登録された15-16世紀ロシアの身売り状について」『奈良教育大学紀要 人文・社会科学』16(1)、1968年2月、29-51ページ
- 「14-15世紀モスクワ市への逃亡ホロープについての協定条項」『奈良教育大学紀要 人文・社会科学』17(1)、1969年2月、79-100ページ
- 「17世紀ロシアのホロープ裁判」『奈良教育大学紀要 人文・社会科学』18(1)、1969年11月、43-68ページ
- 石戸谷重郎「15-16世紀ロシアにおけるホロープの解放と譲与」『奈良教育大学紀要 人文・社会科学』19(1)、1970年11月、53-76ページ
伊藤栄
- 「ドイツ都市工業の展開 —ケルンを中心に—」『政経論叢』(国学院大学政経学会)12(1)、1963年10月、1-70ページ
- 「12-16世紀におけるドイツのツンフト制度について —ケルンを中心に—」
- (1)『政経論叢』(国学院大学政経学会)13(1)、1964年9月、23-76ページ
- (2)『政経論叢』(国学院大学政経学会)13(3)、1965年3月、1-52ページ
伊藤幸男
- 「16世紀ロシアのゼムスキー・ソボール」『ロシア史研究』3(1)、1962年、48-49ページ
- 「イヴァン四世時代のゼムスキー・サボール」
- (1)『山梨大学学芸学部研究報告』16、1966年4月、83-94ページ
- (2)「バャールスカヤ・ドゥーマとの関係(上)」『山梨大学教育学部研究報告』18、1968年2月、40-49ページ
- (3)「バャールスカヤ・ドゥーマとの関係(中)」『山梨大学教育学部研究報告』19、1969年2月、52-60ページ
- (4)「バャールスカヤ・ドゥーマとの関係(下)」『山梨大学教育学部研究報告』20、1970年2月、39-49ページ
- 「イヴァン雷帝とモスクワ国家の膨張 —リヴォニア戦争を中心として—」『歴史教育』15(12)、1967年12月、14-23ページ
今井登志喜
- 『近世における繁栄中心の移動』誠文堂新光社、1950年2月
今来陸郎
- 「ハインリッヒ獅子公の生涯と都市」『社会経済史学』11(7)、1941年10月
- 「ハンザ同盟と中世ヨーロッパ商業」『日独文化』4(1・2)、1943年
- 「プロイセンに於けるドイツ騎士団国家の発端」『西洋史学』16、1953年2月、1-19ページ
- 「転換期の騎士団国家 —14・5世紀の交の様相—」『史淵』80、1959年12月、55-76ページ
- 「騎士団国家の起源 —再論—」『史淵』86、1961年12月、103-121ページ
- 「ドイツ騎士団国家の終末」『史淵』93、1964年7月、85-108ページ
- 「ドイツ騎士団国家解体についての若干の問題」『史淵』100、1968年3月、31-45ページ
か行
川口博
- 「イギリスの羊毛とスペインの羊毛 —フランドル毛織物工業の原料に就いて—」『西洋史学』12、1952年1月、56-67ページ
- 「近世初頭における産業の自由と規制 —ホントスホーテのセイ工業を中心に—」『西洋史学』46、1960年7月、38-55ページ
- 「ネーデルラント独立戦争の革命性について」『西洋史学』57、1963年5月、43-55ページ
- 「15・16世紀のネーデルランド全国議会について」『史林』53(5)、1970年9月、117-149ページ
熊野聰
- 「ヴィーキング活動の商業史的考察」
- (1)『史潮』82・83、1963年3月、74-91ページ
- (2)『史潮』84・85、1963年11月、80-94、59ページ
- 「中世初期の貨幣出土 —商業史研究の一方法—」『社会経済史学』32(4)、1966年12月、89-104ページ
- 「ロシア建国をめぐる論争について」『史潮』100、1967年10月、257-263ページ
- 「ルーシ問題について」『一橋論叢』58(2)、1967年8月、340-246ページ
- 「『ルーシ』という言葉の語源と意味 —ロシア封建社会成立史の研究によせて—」『彦根論叢』128、1968年1月、69-79ページ
- 「プレ・ヴィーキング時代のスウェーデン商業」『彦根論叢』129・130、1968年3月、98-114ページ
- 「ヴィーキング時代のノルウェー商業 —ÓttarとÞórdólfr Kveldúlfssonの場合—」『彦根論叢』132・133、1968年12月、139-156ページ
- 「ヴァイキングの船と航海」『歴史教育』17(1)、1969年1月、1-11ページ
- 「初期アイスランド社会の土地所有と民会 —「ゲルマン的共同体」の一例として—」『歴史学研究』347、1969年4月、1-16ページ
- 「奴隷制の問題について」『歴史学研究』352、1969年9月、50-52ページ
- 「アイスランドのサガにあらわれた『血の復讐』についての一考察 —国家または『支配と隷属』の発生によせて—」『彦根論叢』143、1970年5月、56-74ページ
栗原福也
- 栗原福也「オランダ共和国成立期のアムステルダム商業の一面 —バルト海貿易について—」『一橋論叢』33(4)、1955年4月、27-51ページ
- 「最盛期におけるライデン毛織物業の構造変化 —Pieter de la Court „'t Welvaren der Stad Leiden“ 1659の所説を中心として—」『東京女子大学論集』9(1)、1958年12月、61-87ページ
- 「17世紀におけるオランダ毛織物商業」『東京女子大学付属比較文化研究所紀要』20、1965年11月、101-115ページ
- 「17世紀におけるネーデルランド共和国の都市貴族支配について」『社会経済史学』32(4)、1966年12月、56-88ページ
さ行
佐々木克巳
- 「1074年ケルン暴動に関する一考察 —中世ケルン都市共同体成立過程研究序説—」『一橋論叢』48(1)、1962年7月、36-56ページ
佐藤弘幸
- 「オランダ共和国の成立と毛織物工業の展開」『社会経済史学』36(4)、1970年11月、24-42ページ
柴田三千雄
- 「『グーツヘルシャフト』の成立」『歴史学研究』137、1949年1月、25-36ページ
清水睦夫
- 「ノヴガラット共和国の行政組織と社会構成」
- (上)『史峯』1、1953年、7-30ページ
- (中)『史峯』2、1954年、1-32ページ
た行
高橋理
- 「ハンザ貿易と絶対王政期イギリスの通商政策」『文経論叢』(弘前大学人文学部)5(5)、1970年3月、47-88ページ
高村象平
- 「ハンザ同盟における中世的要素」『三田学会雑誌』27(1)、1933年
- 「中世末北欧に於ける海運業一班 —特に15世紀のダンチヒに就いて—」『社会経済史学』4(9)、1934年12月
- 「15世紀ダンチヒに於ける船舶共有組合の内容に就いて」
- (1)『社会経済史学』7(4)、1934年7月
- (2・完)『社会経済史学』7(5)、1934年8月
- 「和蘭商業資本のバルト海進出に就いて」『三田学会雑誌』31(12)、1937年12月
- 「ブルウヂュ市場に於けるハンザと和蘭商人」『三田学会雑誌』32(6)、1938年6月
- 「諾威に於ける独逸ハンザの商業 —主として16世紀に至る迄のベルゲンの商館に就いて—」『史学』(三田史学会)17(2)、1938年11月、1-38ページ
- 「独逸ハンザ衰退期に於けるベルゲンの商業に就いて」『三田学会雑誌』32(12)、1938年12月
- 「商業革命時代の独逸ハンザ」『三田学会雑誌』33(8)、1939年8月
- 「末期独逸ハンザと政治権力 —特に独逸帝国との関係に就いて—」『社会経済史学』9(5)、1939年8月
- 「中世独逸の建設都市と商人仲間 —特にゴスラァルについて—」『三田学会雑誌』34(1)、1940年1月、39-70ページ
- 「独逸騎士団について —その成立・活動・盛衰—」『三田学会雑誌』34(6)、1940年6月、1-103ページ
- 「バルト海諸都市の建設事情 —独逸ハンザ成立前史の一齣—」『三田学会雑誌』35(1)、1941年1月、83-109ページ
- 「独逸ハンザ」『社会経済史学』10(11・12)、1941年3月
- 「バルト海都市の建設と都市領主 —リュベック市について—」『三田学会雑誌』35(5)、1941年5月、1-32ページ
- 「市域設定と市民の土地取得 —リュベック市についての暫定的考察—」『三田学会雑誌』36(4)、1942年4月、1-43ページ
- 「中世独逸商業都市の手工業政策」『歴史学研究』104、1942年10月、1-14ページ
- 「中世南独逸諸都市の統治者について」『社会経済史学』12(11・12)、1943年3月
- 「東独逸植民達成の諸条件」『三田学会雑誌』37(6)、1943年6月、32-56ページ
- 「独逸ハンザと都市同盟」『三田学会雑誌』37(11)、1943年11月
- 「独逸騎士修道会の盛衰とその事業」『日独文化』4(12)、1943年12月
- 「中世プロイセンの独逸植民村落に関する若干の問題」小野武夫博士還暦記念論文集刊行会(編)『西洋農業経済史研究』日本評論社、1948年9月、65-84ページ
- 「独逸ハンザのベルゲン貿易 —ノルドファーラーに對する仕込制再論—」『社会経済史学』18(2)、1952年6月、1-15ページ
- 「独逸ハンザ貿易と諾威経済の衰退」『三田学会雑誌』45(3)、1952年3月、1-18ページ
- 「中世スカネールの漁業と独逸ハンザ商人」『史学』(三田史学会)26(3・4)、1952年6月、56-72ページ
- 「中世リューネブルク井塩の取引について」『三田学会雑誌』47(6)、1954年6月、1-12ページ
- 「ザクセン都市同盟の成立」『社会経済史学』21(1)、1955年8月、1-15ページ
- 「リューベック市民の土地購入 —第14世紀後半のザクセン=ラウエンブルク公領—」『三田学会雑誌』50(10・11)、1957年9月、212-223ページ
- 「リューベック市の生誕」『三田学会雑誌』51(9)、1958年9月、1-10ページ
- 『ドイツ中世都市』一条書店、1959年
- 『ドイツ・ハンザの研究』日本評論新社、1959年12月
- 「14世紀後半リューベック市会の構成」『三田学会雑誌』53(7)、1960年7月、1-10ページ
高柳信一
- 『近代プロイセン国家成立史序説 —その中央集権化過程における領主制と等族制とについて—』有斐閣、1954年12月
田中陽児
- 「ノヴゴロド『民会』考」
- (上)『白山史学』9、1963年3月、1-18ページ
- (中)『白山史学』10、1964年3月、17-41ページ
- (下)『白山史学』11、1965年3月、1-22ページ
- 「13世紀のロシアにおける『公』(クニャーシ)権力の性格 —ノヴゴロドとトヴェーリ公との契約状—」『白山史学』14、1968年3月、51-61ページ
近山金次
- 「ハンザ研究の現状」『史学』(三田史学会)16(4)、1938年4月、147-173ページ
寺尾誠
- 「西ドイツにおける都市発生の段階規定論争 —C・ハーゼ『ヴェストファーレン諸都市の発生』をめぐって—」
- (上)『三田学会雑誌』61(6)、1968年6月、71-80ページ
- (中)『三田学会雑誌』61(10)、1968年10月、81-95ページ
- (中)『三田学会雑誌』62(1)、1969年1月、92-105ページ
な行
は行
林毅
- 「ドイツ中世都市共同体ケルンKölnの成立史」
- (1)『法学』(東北大学法学会)26(4)、1962年10月、1-54ページ
- (2)『法学』(東北大学法学会)27(3)、1963年7月、30-57ページ
- (3)『法学』(東北大学法学会)27(4)、1963年10月、1-30ページ
- 「ケルンのシュライン帳簿 —ドイツ私法史上最初の不動産登記制度—」『専修法学論集』1、1966年1月、79-101ページ
- 「ヴァイヒビルトについて」『法学』(東北大学)30(1)、1966年2月、122-141ページ
- 「シュトラスブルク第一都市法」『阪大法学』65、1968年3月、123-161ページ
- 「シュトラスブルク第二都市法」『阪大法学』68、1968年10月、67-86ページ
- 「シュトラスブルク第三都市法」『阪大法学』69、1968年11月、51-69ページ
- 「中世都市法の妥当根拠について —W. Ebelの見解をめぐって—」
- (1)『阪大法学』71、1969年3月、1-40ページ
- 「中世都市ケルンの新質について —ドイツ私法史上最初の抵当権—」『法制史研究』19、1969年12月、51-84ページ
- 「ゲルマン古代像をめぐる論争について」『阪大法学』72・73、1970年3月、151-176ページ
比嘉清松
- 「Russia Companyの初期の組織」『六甲台論集』9(3)、1962年10月、120-130ページ
- 「ナルヴァと英露貿易、1558-1518」『六甲台論集』11(1)、1964年4月、66-76ページ
- 「14世紀末-15世紀初頭におけるハンザ商人の毛皮取引 —フェッキンフーゼン家を中心として—」『六甲台論集』12(2)、1965年5月、1-12ページ
- 「イギリスのバルト海貿易とスウェーデン、ロシアの貿易政策との関係について(17世紀中頃-18世紀中頃)」『研究紀要』(尾道短期大学)15、1966年3月、89-109ページ
- 「中世末におけるドイツ=ハンザのロシア貿易 — P. Johansen の研究によせて—」『研究紀要』(尾道短期大学)16、1967年2月、137-146ページ
- 「中世末北ヨーロッパにおける毛皮取引」『松山商大論集』19(2)、1968年6月、27-43ページ
- 「ロシアとリューベックとの貿易(17世紀中頃-18世紀中頃)」『松山商大論集』19(5)、1968年12月、91-107ページ
H・プラーニッツ
- 鯖田豊之(訳)『中世都市成立論 —商人ギルドと都市宣誓共同体—』未來社、1959年12月
ま行
増田四郎
- 「独逸ハンザ都市リューベックの成立について」『東京商科大学研究年報 経済学研究』4、1935年11月、141-217ページ
- 「中世北欧商業の展開」
- (上)『社会経済史学』7(6)、1937年
- (下)『社会経済史学』7(7)、1937年
- 「ハンザ同盟の成立」『一橋論叢』1(5)、1938年5月、77-98ページ
- 「中世における独逸民族の東方発展」『日独文化』4(1・2)、1943年
- 『独逸中世史の研究』日本評論社、1943年11月
松浦道一
- 「アングロ=ハンザ抱合関係の一考察 —とくにユトレヒト条約について—」『史学研究』(広島史学研究会)97、1966年8月、21-39ページ
宮下孝吉
- 「地域団体としてのケルン都市共同体の成立」『社会経済史学』21(5・6)、1956年5月、1-20ページ
- 「三十年戦争の経済史的意義」『関西大学経済論集』5(1)、1959年4月、27-44ページ
- 「アムステルダムの『世界市場』への発展」『関西大学経済論集』13(4・5・6)、1963年12月、1-23ページ
- 「アントウェルペン市場の興隆」『関西大学経済論集』16(4・5)、1966年12月、133-152ページ
宮本英三郎
- 「中世史におけるドイツの商とハンザ同盟」『横浜商大論集』2(1・2)、1968年12月、108-123ページ
村松恒一郎
- 「16、17世紀に於けるネーデルラント共和国の政治的発展と、その経済史的意味」『一橋大学研究年報 経済学研究』2、1958年12月、1-86ページ
森本芳樹
- 「東ドイツ植民期における領主制の構造」『社会経済史学』30(5)、1965年3月、1-28ページ
諸田實
- 「騎士領の構造と«Zwing und Bann»の意義 —グルントヘルシャフト研究史に寄せて—」『商学論集』(福島大学経済学会)27(2)、1958年9月、1-55ページ
や行-わ行
山瀬善一
- 「14世紀末頃迄のリューベックを中心とする商人活動」『国民経済雑誌』84(4)、1951年10月、33-48ページ
- 「中世ブリュッセルの毛織物」『国民経済雑誌』93(2)、1956年2月、67-70ページ
- 「中世フランドルの毛織物と明礬」『国民経済雑誌』94(1)、1956年7月、48-66ページ
- 「17世紀におけるロシアと世界市場」『国民経済雑誌』94(5)、1956年11月、63-67ページ
- 「中世初期のポーランドにおける都市的中心地の成立と遠隔地商業 —最近の研究成果によせて—」『国民経済雑誌』114(6)、1966年12月、91-103ページ
山田作男
- 「ドイツ騎士団末期の考察」『西洋史学』19、1953年10月、40-55ページ
- 「プロシヤの宗教改革に関する一考察」『研究報告』(愛知学芸大学)3、1954年3月、54-58ページ
- 「ドイツ騎士団の貿易活動」『研究報告』(愛知学芸大学)5、1956年1月、49-53ページ
- 「フリードリヒ2世のいわゆるリミニ黄金文書(1226)について —ドイツ騎士団長と帝国との関係—」『研究報告』(愛知学芸大学)7、1958年2月、15-27ページ
- 「皇帝ジギスムントの北東政策について」『研究報告』(愛知学芸大学)9、1960年3月、323-336ページ
- 「中世における東ドイツ植民運動の再評価 —特にドイツ法の伝播について—」『研究報告』(愛知学芸大学)11、1962年3月、49-62ページ
- 「プロイセンにおける都市の特権状 —特にクルム法都市について—」『史学雑誌』75(7)、1966年7月、47-75ページ
吉井友秋
- 「東独植民とドイツ騎士団国家」『島根大学論集 人文科学』14、1965年2月、149-166ページ
F・レーリヒ
- 瀬原義生(訳)『中世の世界経済 —一つの世界経済時代の繁栄と終末—』(社会科学ゼミナール)未來社、1969年12月
渡辺国広
- 「第16世紀アンヴェルスにおける商業と道徳」『三田学会雑誌』44(12)、1951年12月、47-56ページ