2010-12-04

11-12世紀フランドル伯証書と都市

第16回研究会報告要旨 2010年12月4日

青山由美子(中央大学非常勤講師)

11-12世紀フランドル伯領は、英仏両王権の対立関係の狭間で、領邦として自立を保ち経済的にも繁栄しえていた。そのような自立と繁栄を可能とした二大要因として、伯の行財政制度の発達と都市化の進展が指摘されている。前者の中心が、伯の尚書部(文書局、書記局)である。では、尚書部の発達と都市化の進展には、何らかの相互関係があったのであろうか。

本国ベルギーにおける先行研究は、中世後期に伯の尚書部が都市化に与えた影響の一端を明らかにしている。そこで、報告者は、中世中期にさかのぼり、逆に都市化が尚書部にどのような影響を与えたのかを明らかにしようと試みている。その第一歩として、本報告では、伯の証書から都市や都市民に関わる要素を抽出した調査結果を報告した。

第1に、都市(民)あての証書はやはり次第に増加しており、受給者(受益者)としての都市(民)の重要性は少しずつ増していったことが確かめられた。そのような証書が増えるのは、都市が伯領統治にはじめて関与した1127-28年の政争期以後である。第2に、その政争期の前には、修道院や教会宛ての伝統的な証書の中に、受給者ではなく案件の関係者として都市(民)が認められた。

第3に、都市民が証書の証人となるのは、受給者の所在地か証書の発給地が彼の住む都市である場合が多い。そのような証書も、1127-28年の政争期以後増えている。証人リストの中にどのように現れるのかについても、変化が認められた。参審人団として集団で証人となるケースから始まるが、少しずつ在地の有力者となった都市民が単独で証人となるケースも増えていく。

第4に、証書が都市で発給されている、つまり都市が発給地となる事例も増加していっている。発給地となった都市の地理的分布を調べてみると、時期毎に異なる特徴を示しており、単線的変化は認められなかった。全体としては、東西南北のバランスがとれているが、特に、西の北海沿岸部への集中、南部と東部への拡大、中小都市も無視しないかたちでの大都市への集中などが、顕著な特徴であった。

最後、第5に、都市(民)は、証書を後世に伝える伝来主体ともなっていた。現存する証書の伝来媒体の半数がカルチュレールであり、その大部分は修道院のものである。そのような状況の中で、少数ながら、都市のカルチュレールが伯の証書を伝えているケースも確認された。

以上の調査結果により、都市化の進展が伯の尚書部に与えた影響として、次の3点を指摘しうる。(1)都市(民)も伯の証書を必要とするようになったものの、従来の受給者である修道院のように自ら作成することはできない。修道院に依頼した事例も明らかにされているが、徐々に修道院を介さずに伯の尚書部が作成するようになっていった。(2)都市(民)が新たな政治勢力として存在感を増すにつれ、統治者である伯は対応を迫られていく。その対応手段のひとつとしても、伯の尚書部が都市(民)宛てに証書を作成するようになっていった。(3)都市は、証書の作成と発給の場となっており、尚書部が機能する場として重要性を増していく。都市相互のネットワークも含めて都市化の進展なくしては、伯の尚書部の発達は不可能であった。

ただし、今後の課題として、都市周辺の農村地域との関係、都市を介してのフランドル外部との関係をも視野に入れた上での調査が残されている。