2006-07-01

リューベックには参審人(審判人)はいないのか? —ドイツ中世都市を法史学から眺める—

第7回研究会報告要旨 2006年7月1日

稲元格(近畿大学法学部)

エーベルに代表されるように、通説によれば、中世リューベックには参審人がいなかったとされる。確かに、そのように呼ばれる階層は存在しない。しかし、リューベック法都市以外では、大抵参審人層は存在した。リューベック法と並んで、地理的に広大な都市法家族を形成したマグデブルク市には、市参事会と並ぶ、法に関する「専門家」集団として参審人が委員会(Schöffenstühl)を構成していた。では、リューベックでは、裁判はどのように処理していたのか。ここでは、他の都市であれば、参審人が判決発見人として活躍した不定期裁判集会を取り上げる。リューベックでは、14世紀半ばには、これは市参事会の「下級裁判所(judiium minus)」と化していた。この下級裁判では、参審人ではなく、訴訟当事者の代言人職を務めない、非番(frei)の代言人(Fürsprech)が判決作成(=判決発見)に当たっていたと考えられている。彼らも参審人同様、一定程度「法の専門家」化していたであろう。この限りで、代言人と参審人の機能的な違いはない。この下級裁判での判決は、さらにリューベック市参事会への上訴が可能であった。この市参事会では、判決作成に非番の代言人は係わっておらず、市参事会員の多数決によって決したと言われている。従って、リューベックでは、裁判はすべて市参事会によって掌握されていたのである。市参事会員はどのように判決下したのか。判決史料から窺えるのは、彼らは、単純明快な訴訟手続きを利用していたことである。つまり中世に普遍的な「素人裁判」が維持されていたのである。この方法は誰にでも納得できるという長所を有しているが、複雑な法律問題には対処できない。そこで法の専門家としての市書記、後には15世紀以降は法律顧問が、市参事会役人として市参事会員を補佐したと思われる。

他方マグデブルクでは、参審人委員会が市参事会と並んで法に関する独占的な機関として機能し、市参事会が最終審となることはなかった。なぜか。ひとつには、実効的な権力を有した都市君主が存在し、彼に参審人が名目上依存していたからである。しかし、報告者には、彼らがザクセンシュピーゲル・ラント法を基盤とし、その解釈を通して「マグデブルク法」を発展させたことがより重要な原因のように思われる。このような彼らの法の専門性を市参事会は否定できなかったということであろう。実際、市参事会は参審人委員会をその支配下に置こうと試みてはいる。

従って、参審人を「法の専門家」と見るのであれば、その役目を果たす人々はリューベックにもいたが、ここでは市参事会が独自に法の問題を処理しえたから、参審人という独自の階層の存在は必要とされなかったということになるのであろう。