2005-12-03

盛期中世ノルウェー(12-13 c.)におけるニダロス教会宛商業特権付与 —その実効性をめぐって—

第6回研究会報告要旨 2005年12月3日

成川岳大(東京大学大学院)

デンマークより分離し、スウェーデンとの連合下にあった19世紀において近代歴史学の勃興を見たノルウェーにとって、中世教会史はノルウェー王国の独立、「栄光の時代」としての中世、そして国教会の宗教的伝統と断絶した過去という二面性を併せ持った研究分野であった。それ故、強勢であったとされる盛期中世の王国統一(rikssamling)に対し教会がいかに寄与したかという「国家と教会」間の関係が研究者の議論の焦点となり、独立した研究領域としての「教会史」の成立は20世紀へとずれ込むこととなった。

戦間期以降、W. ホルツマンによるイングランドでの新史料の発見を受け、盛期中世、特に12-13世紀ノルウェー教会に対する関心が高まりを見せることとなる。しかしそこにおいても、「国家と教会」という伝統が研究者の興味関心を束縛していた。ザイプを嚆矢に教会の裁治権をめぐり有力な研究者が自らの見解を明らかにし、汎ヨーロッパ的動向を踏まえた聖俗関係論の精緻な分析が刊行される一方、教会史の研究者が経済活動など教会と社会とのより広汎な関わりに目を向けることは近年までごく稀であった。

他方、イングランド等諸外国の史料の利用を早期に開始した経済史研究者の間では、20世紀前半より既に商業活動に従事する聖職者の姿が注目を集めていた。しかし、最新の研究成果の集大成たるネドクヴィトネの博士論文に至るまで、教会人の経済活動は俗人有力者のものと一括して扱われ、教会が経済活動を行うことの意義にまで踏み込んで考察がなされることはなかったと言って良い。

本報告では研究史上における上述の教会史/経済史の二極化状況を踏まえ、これまで考察がなされることが少なかった盛期中世、特に12世紀ニダロス教会に付与された商業特権を主たる考察の対象に設定した。特権の実効性、及び利用の実相を当該時期の同教会を取り巻いていたより広い政治的、社会的文脈の中に置き直すことで、断絶している両研究領域の隙間を埋めることをその目的としたものである。

報告の前半部ではニダロス教会に対して教皇、あるいはノルウェー王をはじめとする世俗統治者が付与した特権の実効性に関し考察を行った。

盛期中世において聖俗関係が一応の確定を見たとされるテンスベルの和約(1277)に至るまで、同教会に対しては最低14回の商業関係諸特権の付与が認められる。うち発行年月日が確かなイングランド王よりの5通の特許状からは、王、あるいは大司教の交代による機械的なものではなく、イングランド王の対応に影響を及ぼす可能性があるノルウェーでの政情の変化に呼応して大司教側からの要請で発行/特権の更新がなされている事実が確認された。そのことは、イングランドとの通商関係と商業特権が単なる好意の証ではなく、ニダロス大司教、教会にとって実際の利害関心に関わる問題であったことを示唆している。

また、ニダロス教会への教皇、ノルウェー王よりの特権付与の12世紀後半における文言の変化も、同様に教会側の商業特権に対するアクチュアルな問題関心、さらにはより幅広い社会との関係の志向性を反映しているとの主張を報告者は行った。当該時代にニダロス大司教であったエイステイン(r. 1161-88)は積極的に教会の守護聖人であったノルウェーの国王聖人、オーラヴ崇敬を後援するかたわら、北欧現地の問題に関し教会法上の規定をいかに適用すべきか教皇と活発に書簡を交わしていたことで知られる人物である。アイスランドへと赴く船舶に対する「聖オーラヴへの聖務で用いる衣服のための(費用)」という但し書きからは、現実に存在し、大司教座昇格当初より重要な位置を占めていたアイスランド等大西洋地域に対してのニダロス教会の商業活動を同時代ノルウェーで影響を増しつつあった教会法上の規定に即して解釈し、正当化しようとするエイステインらニダロス教会指導者層の腐心を読み取ることができる。

1277年のテンスベルの和約において大司教は自らが抱え、あるいは委託を行った商人の商業活動に対しての王権の干渉排除を文書上ではじめて保証されている。しかし上述の所見を踏まえるなら、既に大司教座昇格後間を置かぬ12世紀後半の段階で、特許状で付与されている商業上の諸特権は無視できぬ(経済上の)重要性をニダロス大司教、あるいは教会にとって有していたのではないか、という1つの推論が浮かび上がってくるのである。

報告後半は前半での見解を踏まえ、ニダロス教会が当初より認められていたことが推定される特権、すなわちアイスランドへの船舶往来と鷹の保持が同大司教と管区の辺境たるアイスランドとの関係構築に如何に寄与したか、試論の提示を目指した。

教会法上聖職者が鷹狩りに従事することは同時代禁じられ、またそもそも鷹狩りの習慣がノルウェーであったか疑われている状況を鑑みるならば、鷹保有の許可が交易目的であったことにほぼ疑いの余地はない。ノルウェーを含む北大西洋地域、すなわちニダロス大司教管区よりの鷹は12世紀以降史料上に登場するが、特にアイスランドとさらに彼方のグリーンランドは良質の鷹を産したことで知られ、当代きっての文化人の一人、フリードリヒ2世は最高の鷹、シロハヤブサの産地としてアイスランドに触れている。13世紀西欧人にとってニダロス大司教管区は鷹を筆頭とする貴重品、奢侈品の産地として認識されており、大司教の交易活動においてもそれは相対的に大きな比重を占めたと推定される。

その一方で、報告者はアイスランド側史料の記述等を根拠にアイスランド、グリーンランド等北大西洋地域とノルウェーとの交易の頻度を俎上に挙げ、ほぼ毎年定期的に往来したことが推定される大司教保有船舶がアイスランド人の対外接触、交易に果たした影響力がこれまで想定されてきたより大きかったと主張した。

アイスランド教会は典礼用品に代表される必需品を外部より調達する必要があり、そこでは鷹がアイスランド側の支払いの手段として意味を持ったものと思われる。しかし、それはノルウェー側、ニダロス大司教にとっても重要であった。13世紀後半、アイスランドがノルウェー王の支配下に入るが、同時代アイスランド司教の事績を叙述した『司教アルニのサガ』、及び新たに制定された法典、『ヨーンスボーク』中の鷹の狩猟に関する特別規定からは、大司教側の要請を受けたアイスランド教会が鷹の狩猟権を保持することに示した執心を読み取ることが可能である。

上記の検討を踏まえるならば、ニダロス大司教の商業活動は司教座昇格後直後より、13世紀に至るまで一定程度の重要性を保持するのみならず、大司教と管区内の接触の確立に貢献する側面を有したことが想定される。但し、管区内の地方社会に関する影響に関してはまだ不明な点が多く、さらに緻密な史料の検討と議論が必要とされるであろう。