2004-06-26

スカンディナヴィア人中継地としてのノルマンディ —紀元千年前後—

第4回研究会報告要旨 2004年6月26日

小澤実(東京大学大学院博士課程)

本報告は、北フランスの一領邦ノルマンディ形成過程におけるスカンディナヴィア人の関わり方を再考する試みである。

通常ノルマンディ公領の歴史は、911年におけるシャルル単純王によるヴァイキングの首領ロロへの土地譲渡にはじまるとされる。従来のノルマンディ研究はおおまかに言って、地方史としてのアプローチ、公領成立史としてのアプローチ、ノルマン征服前史としてのアプローチという三つの研究態度があった。一世紀以上にわたるこうした研究成果の精髄はデヴィッド・ベイツによる1982年に公刊された『1066年以前のノルマンディ』に集約されているが、著者の研究専門上ノルマン征服前史としての色合いが濃い。三章構成をとる本発表では当該時期の北海全域にわたるスカンディナヴィア人ネットワークに注目しながら、近年の研究成果を踏まえ紀元千年前後の北ヨーロッパ経済構造のなかにノルマンディ公領の形成を置き直すことを目的とした。

第一章では、前世紀以来の研究成果を振り返りながら、ノルマン征服までの公領成立過程を整理した。所与のものとしてノルマンディ公領が存在していたわけではなく、西フランク王国ノイストリア北部に土地を獲得したロロと息子のギョーム長剣はルアン伯であるに過ぎず、公領の礎を築いたのはギョームのあとを襲った三人のリシャールであった。本章では、スカンディナヴィア人の手による新興領邦としての内的構造と、イングランドとフランスという異なる政治圏の狭間に立つ外的構造というノルマンディの孕む特殊性を指摘した。

第二章では、ノルマンディ公とスカンディナヴィア人との関係を、史料から抽出できる限りにおいて検討した。ノルマンディ公の対外政策を論じる研究者の多くは、スカンディナヴィア世界との結びつきよりもフランク世界そしてフランス王国及びフランス諸領邦との繋がりを指摘する。たしかにそれは間違いではないが、その一方でスカンディナヴィア人との関係が途絶えていたわけではないことは強調しておかねばならない。地名学や人名学が明らかにするように、北海沿岸からのみならず、アイルランドやスコットランド辺縁部を含めたイングランドからもスカンディナヴィア系住民はノルマンディへ流入していた。さらに重視すべきはハイ・ポリティクスのレヴェルでの公とスカンディナヴィア世界との関係である。公の家門出身者とスカンディナヴィア有力者との婚姻、対外衝突に際しての公によるスカンディナヴィア戦力の要請、ルアン大司教ロベールによる後のノルウェー王聖オーラヴの洗礼等に加えて、1003年にはリシャール二世とデンマーク王スヴェン叉髭との間に一種の協定が締結されている。こうした一連の事実は、ノルマンディ公領のフランス化という通説に対する留保を迫るものと考える。

第三章では、紀元千年前後北ヨーロッパ商業世界の中におけるノルマンディの役割を検討することを目的とし、奴隷交易を一つのケーススタディとして取り上げた。この時期のスカンディナヴィア人は、海外での戦闘やその他の機会にしばしば捕虜を獲得することがあり、そうした人物は奴隷としてスカンディナヴィア社会もしくは輸出対象となっていたことはいくつかの資料から確認できる。キリスト教的倫理の関係もあり、西ヨーロッパでは十世紀を境に次第に奴隷交易は退潮していったが、いまだキリスト教化したとはいえない北欧及び東欧ではなお奴隷の売買は継続していた。本章では、第二章で取り上げたリシャール二世とスヴェンとの協定に含まれる「戦利品売買の自由」という規定を拠り所としながら、半ばスカンディナヴィア社会であったルアンが、同時代のヴェルダンのように奴隷市場としての機能を果たしていた可能性を指摘した。この点は経済史上の大問題とはいえ、未だ手つかずの分野でもあり、仮説の当否は措くとしても、より詰めた議論と史料の検討が必要となることが予想される。